明石家さんまの借金地獄! ~「喋れなければ死ぬ」大物芸人の知られざる壮絶人生

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「明石家さんま」といえば日本で知らない人はいない、超大物お笑い芸人ですよね。ビートたけし・タモリと共に「BIG3」と呼ばれ、日本のお笑い界の頂点に君臨しているさんまさん。常に明るく、「起きた瞬間から陽気」と揶揄されるほど。そんな彼も、親の離婚や実弟の死などを経験し、さらに不動産投資に失敗、多額の借金を背負っていた過去がありました。

母親の死と父親の再婚。そして確執

さんまさんは1955年に和歌山県で生まれました。3歳の頃に病気で母親が亡くなり、小学生の頃に父親が再婚。新しい母親と父の間に腹違いの弟が生まれますが、継母とさんまさんの関係はあまりよくなかったようです。

こんなエピソードがあります。さんまさんとお兄さんが寝ている隣の部屋で、継母が毎日のように「私の子供はこの子(父親と継母の間に生まれた弟)だけ」と話すのを聞いて、さんまさんとお兄さんは悔しくて泣いたそうです。芸人を目指すきっかけになったのは、新しいお母さんの興味を引くために面白いことをいつも考えていたことからという話もあります。

子連れで再婚というのは難しいものですから、どちらが悪いという単純な問題ではないでしょうが、少年時代のさんまさんがどんな気持ちで継母の話を聞いていたのかを想像すると、切なくなりますね。継母とは結局打ち解けられませんでしたが、それでも腹違いの弟さんのことはとても可愛がっていたといいます。

順調な芸人生活の陰で、弟の焼死も…

1974年、高校3年生の時に2代目笑福亭松之助に弟子入りをし、1975年に「11PM」という番組でテレビにデビュー。関西ローカルでタレントとして様々な番組に出演し、徐々に人気を集め頭角を現していきます。

1981年になるとビートたけし、島田紳助らとともに「オレたちひょうきん族」のレギュラーになり、「ブラック・デビル」などのキャラクターで大ブレイクします。「クワックワッ」という笑い声?を覚えている方も多いのではないでしょうか。1984年には笑っていいともにレギュラー出演を果たし、日本一視聴率の取れる芸人として、さんまさんの顔は全国のお茶の間にすっかり浸透していきました。

その順風満帆な芸能活動の影で、悲劇が起こります。1983年4月、さんまさんのお父さんが営んでいた実家の工場で火事があり、弟さんが亡くなってしまったのです。享年19歳。サッカーが得意で、さんまさんは次のワールドカップを一緒に見に行こうと約束していたそうです。亡くなった時には、「まだ納得できない、あのチビが死んだなんて…」と胸の内を明かしています。実家の加工工場もこの火事のあと閉鎖されました。ちなみにこの火事について書かれた関西スポーツ紙の見出しは「さんま丸焼け」だそうです…。かなり酷い言い草ですが、さんまさん自身は最近、それをネタにして話すこともあるようです。器デカすぎです!

さらに1985年に起こった日航機墜落事故では、直前までその便に搭乗する予定だったこともあり、さんまさんは大きなショックを受けました。当日たまたま前の仕事が早く終わったため、便を一つ早く変更し、難を逃れたのです。この経験から、さんまさんは陸路で移動できる距離はなるべく新幹線を使い、極力飛行機移動を避けるようになったそうです。気持ち、わかりますよね…。

さんまさんの座右の銘は「生きているだけで丸儲け」だそうですが、この言葉の裏にはこのような実母や異母弟との悲しい別れや、人間はいつ死ぬかわからない、という強い死生観が影響しているのかもしれません。

「喋れなくなれば死ぬ」、バブル崩壊で8億円の借金!

こうして様々な苦労の末芸能界での地位を確固たるものとしたさんまさん。時はバブルの好景気。他の様々な芸能人と同じく、さんまさんも不動産を初め数々の事業に投資していました。

そしてバブル崩壊…。

不動産や株価は暴落し、さんまさんも多額の負債を抱えることになってしまったのです。その額なんと8億円。借金を返す方法は、「とにかく喋りまくること」。借金の返済のため、さんまさんは必死で仕事を入れ、睡眠時間も削って働きました。そのストレスから、当時はよく「声が出なくなる悪夢」にうなされたと語っています。

のちにテレビ番組で「借金があったからこそ頑張って仕事をしてこれたんじゃないですか」と司会者に聞かれたとき、「アホか!」と一喝し、「億単位の借金なんて、働いてどうにかしようと思うようなレベルじゃない。喋れなければ死ぬという思いでやってきた」と激昂したといいます。

さんまさんのあの明るいキャラクターと軽快なトークの影で、こんな想像を絶する覚悟と苦労があったんですね。

さんまさんはあるラジオ番組の中で、間寛平さんから聞いた借金の話として「銀行からの数十億円より街金からの数千万円の方がヤバい」「利息だけで月に数百万、それを払っても元金は1円も減らない」「借金は怖いで」などとしみじみ発言していますが、これはもしかしたら本人の実体験も重ねていたのかもしれません。

節税対策で数億円の節約!?

1988年9月、さんまさんはドラマの共演をきっかけに女優の大竹しのぶさんと結婚、長女のいまるさんが生まれます。その後1992年に二人は結婚観のスレ違いが原因で離婚してしまいますが、元夫婦そろってテレビ番組に出演したり、離婚のことをネタにして笑いととったりと、いまるさん含めて関係は良好のようです。大竹さんには前夫(死別)との間にも子供がいましたが、さんまさんは実子と別け隔てなく接し、現在でも仲が良いんだそうです。大竹さんとの離婚の際には「ボス(さんまさんのこと)についていきたい」とごねられたという話も。さんまさんの人柄がうかがえるエピソードですね。

ただし、この離婚で都内に建てた数億円の豪邸のローンをさんまさんが一人で背負うことになり、のちに家は売りに出されたという話もあります。

そんなお金に苦労してきたさんまさんは、節税対策にも熱心なようです。芸能人は所属事務所経由でギャラを受け取ることが多いのですが、さんまさんは所属している吉本興業とは別にマネジメントを行う個人事務所を作っており、ギャラはそちらに支払われています。つまり、さんまさんが受け取るのは事務所の経費などを差し引いた「役員報酬」のみ、という体になっているんですね。これで税金を数億円単位で圧縮しているといわれています。現在資産100億円とも!8億もの借金を返してさらにこの資産。すさまじいですね。

「人のためにお金を使う」さんまさんのお金観

さんまさんのお金にまつわるエピソードをもう一つ。

さんまさんは競馬が大好きで、大竹さんと別れた際に支払った養育費を取り戻すべく競馬で一攫千金を狙ったところ、なんと47連敗して「家1件分」の大損をしたそうです。かと思えば、人生で1度だけ大当たりをして「かなりの儲け」を出したことがあったのですが、その直後に阪神淡路大震災が発生。「皆が困ってるのにこんなお金持っていられない」と、全て寄付したんだそうです。借金もあったはずなのに、そこであっさり全額手放すことができるさんまさんはすごい!

この阪神大震災という未曽有の大惨事を経験したさんまさんは、東日本大震災が起こった時も相当心を痛めていたようです。ある日荷物の配達をしていた一般の人から「頼むよ!日本を早く元気にしてよ!」と声をかけられ、反射的に「あいよ!」と返事をしたあと、涙が出てきたといいます。その後はSMAPと一緒に被災地ライブをしたりと、復興支援に尽力しているんだそうです。

後輩の面倒見もよく、結婚や出産といった祝い事には祝儀を気前よく出し、一般のファンにも求められれば快く写真やサインに応じてくれるさんまさん。これだけの人に愛されるのには理由がありました。大竹さんが「さんまさんは借金をするのが嫌いで、貯金が好き」と暴露する一方で、さんまさん自身は「人にお金を使えば使うほど将来お金には困らない」と発言し、惜しまず後輩などにおごるんだそうです。生命保険の受取人はお子さんたちにし、残りは寄付すると公言しているさんまさん。借金を返し終わった今、これからは「生きるために喋る」のではなく、「人を喜ばせるために、何より自分ために、楽しんで喋って」ほしいと思います。

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