江川卓の借金地獄 ~引退後の事業失敗、負債総額は50億円とも…

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超高校生級の速球を武器に甲子園の「怪物」と称され数々の記録を樹立。法政大学進学後も六大学野球で神宮球場を沸かせて時代の寵児に。

そして前代未聞のドラフト「空白の一日」事件と故・小林繁氏との衝撃トレードを経ての巨人入団。壮絶なバッシングを受けながらの9年間のプロ生活と、電撃的な引退発表。

江川卓という野球人の波乱万丈さは、まさに比類なき存在と言えます。その一方、現役引退後の解説者やタレント活動においては、生来の明るさや面白さを発揮し、「空白の一日」事件の顛末も明かされるなどで、現役時代のダーティイメージはすっかり払拭された感があります。

しかし、現役引退後の江川氏が、実は副業によって、莫大な借金を背負っていたという事実は、現役時代の過熱報道の反動もあってか、あまり知られていません。その総額は、一節には50億円(!?)とも言われています。

本記事では、そんな江川卓氏の借金について、生い立ちや、野球人生、数々のバッシングとその裏側、そしてなぜ莫大な借金を背負うことになってしまったのかなどを、ご紹介していきたいと思います。

江川卓氏の人生を大きく左右した父上、二美夫氏の存在

江川卓氏は1955年生まれ。出生地は福島県ですが、幼少期を主に過ごしたのは、現在の静岡県浜松市天竜区になります。

そして江川氏の少年期・青年期を語る上で欠かすことのできないのが、父上である江川二美夫氏になります。ご年配の野球ファンの方なら、「空白の一日」事件の折、江川家に群がるマスコミに対し「日本経済の無駄」との痛烈な皮肉を浴びせたエピソードは記憶にあることでしょう。

そんな江川親子は、スポーツジャーナリストや新聞記者の間では、しばしば「一卵性親子」と称されます。そして、江川氏の野球人生は、進学から巨人入りまで、二美夫氏が大きく関与することになるのです。詳しく見ていきましょう。

息子をプロ野球選手に・・・父・二美夫氏の存在と影響力

後年、江川氏本人が語ったところによれば、父・二美夫氏は野球に関しては、スパルタ的なシゴキなどは一切せず、自然に野球が好きになるように仕向けたとのこと。特に有名なエピソードとしては、天竜川での石投げ。これは二美夫氏が大人と遜色ない飛距離を出した卓少年を煽て、毎日遠投することが日課になって肩が鍛えられたそうです。

一方、気弱で臆病な性格であった卓少年に度胸をつけさせようと、深い谷底を見せたことが逆効果になり、以来ずっと高所恐怖症になってしまったとのこと。もっとも、このことが後の正子夫人との出会いにつながるのですから、運命は分からないものです。

そしてもうひとつ、二美夫氏が大きな影響力を及ぼしたのが、進学・進路について。二美夫氏は高卒の鉱山技師として学歴社会の辛酸を舐めた経験から、息子の卓氏には、絶対に大学進学させるとの信念を抱いていたとのこと。このことが、作新学院進学と慶応大学受験失敗にも大きく関わってきます。

栃木・小山高校から一転、作新学院への志望変更

二美夫氏の転勤により、中学2年で静岡から栃木へと転校した江川氏。小山市の中学校で県大会に優勝したことで、高校野球界からも注目を集めることになります。

その際、当初は小山高校への進学を示唆していたものの、土壇場になって作新学院へ志望校を変更。この裏には、二美夫氏の「作新の方が、大学進学に有利」との判断があったとのことで、江川氏のその判断に従ったのだとか。

ちなみに、学生時代の江川氏は反抗期も一切なく、すべて父・二美夫氏の判断に従っていたとのこと。初めて意見が対立したのは、後の正子夫人との結婚に際してだったとされています。これについては、後ほど詳しく。

今なお語り継がれる伝説、「怪物」江川の高校時代

ノーヒットノーラン9回、完全試合2回、奪三振率14.0・・・これらの数字と記録だけを見ても、高校時代の江川卓という投手が、いかにズバ抜けていた存在だったかがお分かりいただけるのではないでしょうか。

実際に対戦したチームの監督などからは「高校生の中にプロが混じっている」と評した程。とりわけ有名なエピソードとしては、甲子園で三振の山を築く中、ファールでバットに当てた選手に、観客から拍手が贈られたというのがあります。

そんな江川氏でしたが、3年生の甲子園決勝は千葉の銚子商業を相手に、味方打線の援護がなく、0対0のまま延長戦に。途中から降り出した雨のせいでコントロールを見出し、最後は押し出しフォアボールで敗戦となりました。

ちなみにこの時の模様を、詩人の故・サトウハチロー氏は「雨に散る江川投手」と題して作品にしたとのこと。その額は、今でも江川家の居間に大切に飾られているそうです。

後のドラフト問題ではその立場が一転しますが、この時点での江川卓というピッチャーは、間違いなくスーパースターだったのです。

人生初の挫折、慶応大学の受験失敗

甲子園でのヒーローとなった江川選手。当然、プロ野球からも注目を集めますが、江川親子の「戦略」としては、大学野球を経てからのプロ入りは揺るがなかったとのこと。後に「たとえ巨人からの指名であったとしても、高卒の時点では行っていなかった」と述べています。なおこの時のドラフト会議で一位指名は阪急(現在のオリックス)でした。

大学進学で志望したのは慶応大学。六大学野球、とりわけ伝統の早慶戦に憧れたからとしていますが、なんと江川氏は不合格その一報は、テレビのニュース速報でも伝えられたほどでした。

裏話を明かすと、これは当時、社会問題化していた私立大学の裏口入学問題が関係していたとのこと。スポーツに限らず一芸に秀でた受験生に対しては、入試の際に加点がもたらされる(俗に言う「ゲタを履かせる」)ことはいつの時代もありますが、慶応サイドはこの時、自らの格を世間に示すため、あえて江川を落としたとされています。言わばスケープゴートにされたのです。

この結果に、江川氏以上に落胆したのが父・二美夫氏。その後しばらくしてから、二美夫氏は作新学院の理事長であり当時衆議院議員でもあった故・船田中氏から、今後は進路を決める際、必ず相談しなさいと諫められたとのこと。そしてこの出来事は結果的に、「空白の一日」事件にも大きく関わってくるのですが、江川氏本人はまったくあずかり知らぬことだったとのこと。

大学時代、またも数々の記録を打ち立てる大活躍

慶応に落とされた失意の中で法政大学に進んだ江川氏でしたが、結果的に見れば進学先の大学はどこでも良かったのではと思えるほどの大活躍

投手としてはもちろんのこと、打者としても5番のクリーンアップを担い、法政は連戦連勝。大学通算47勝は歴代2位。ベストナインにも6度選出奪三振数443個も2002年まで更新されることはありませんでした。

そして、2年から4年にかけては、日米大学野球の日本代表に3年連続で選出されています。

なお余談ながら、後に結婚する正子夫人とは、このアメリカ遠征の際に知り合ったとのこと。高所恐怖症で飛行機の中で顔面蒼白だった江川氏をCAだった正子夫人がケアしてくれたことが馴れ初めだったそうです。

ちなみに、これまた有名なエピソードですが、大学時代、正子夫人とのデートがあった際は、早く試合が終わるよう、全力で投げたとのこと。

そして大学卒業を迎え、ドラフト会議の季節へ。高校時とは一転し、事前より巨人入りの希望を表明していた江川氏でしたが、結果はクラウン(現在の西武の前身で、当時は福岡が本拠地)が一位指名。

引退後に明かしたところによれば、この時、巨人でなくても、巨人と対戦出来る首都圏の球団――ヤクルトか大洋(現・横浜ベイスターズ)であれば入団していたとのこと。クラウン入団拒否の理由として「九州は遠い」という理由を挙げたのは、父・二美夫氏による「地方都市で働くことの不利さ」という体験談も大きかったとのこと。

江川氏は母校の作新学院職員の身分で、南カリフォルニア大学に留学生として1年後のドラフトを待つことを選択するのでした(社会人野球に進むと、2年後のドラフトを待たなければならなかったため)。

運命のドラフト、父・不美夫氏と巨人軍、船田議員秘書による策略

1年間の野球留学を経て、運命のドラフトを滞在先のロサンゼルスで迎える予定だった江川氏に、父・不美夫氏から緊急帰国命令が下ります。訳も分からず帰国した江川氏は、その翌日、巨人入団を電撃発表。当時の野球協約の盲点をついた抜け穴でした。

引退後に語られたところによれば、これは当時の正力享オーナーの意を受けた長谷川実雄球団代表と、作新学院理事長で江川氏の後見人でもあった船田中衆議院議員の蓮見進秘書によって練られた策略であったとのこと。

父・不美夫氏も、球団の顧問弁護士から法的には何も問題ないとの見解を示され、その気になってしまったとのだとか。そして、江川氏本人も「本当にこのやり方で大丈夫なのですね?」と何度も確認したそうです。

しかし、結果は皆さんご存知の通り、大騒動に。とある専門家は「法的に問題ないとしても、仲間同士の約束事を破っていい道理はない」と評しました。人間というのは切羽つまると、正しい判断ができなくなる、自分に都合のいい判断をしてしまうという典型的な例とも言えそうですね。

父・不美夫氏との関係に生じた変化

この「空白の一日」事件は、野球界全体を揺るがす大事件となりましたが、実は江川親子の関係にも、とある変化をもたらしています。

前述の通り、少年期から江川氏は反抗期もなく、不美夫氏の意見には素直に従っていたとのこと。しかし、このドラフト事件と、その少し前、正子夫人との結婚を猛反対されたことが重なり、その関係にも変化が見られるようになったとのこと。遅ればせながら、親離れのきっかけとなったとされています。

加えてこんな話もあります。ドラフト事件の少し前、不美夫氏は鉱山技師を退職し、個人事務所「エガワエンタープライズ」を設立。密かに先走り、とある飲料メーカーのCMを作成していたそうですが、入団騒動でお蔵入りとなってしまったとのこと。

ちなみに江川氏は、その4年後、自らの副業のために個人事務所「江川企画」を設立しますが、不美夫氏には手を出させず、正子夫人の兄で義兄にあたる菊地敏明氏を招いています。

一方、不美夫氏のエガワエンタープライズは、江川氏とは直接関係のないビジネスで糊口をしのいでいたとのこと。そう聞くと、なにやら親不孝的にも聞こえますが、後の大借金は江川氏個人と江川企画に課せられることになるので、不幸中の幸いとも言えるでしょう。

入団直後の、土地購入失敗エピソード

もうひとつ、後の大借金に多少は関係するエピソードとして、次のようなものがあります

江川氏は入団直後の大騒動の中、ひそかに契約金を元手に世田谷に土地を購入していましたが、その直後、「予定納税」という翌年分の所得を予測して支払う税金が課せられることに。このことを全く知らずにいたため、慌てて資金繰りを試みましたが、正子夫人が独身時代に貯めていた預貯金まではたいてもらっても焼け石に水。結局その土地は手放すことになったとのこと。

この失敗が元来の負けず嫌いに火をつけ、後の財テク活動につながることになるのですが、その結果として株と不動産投資失敗の大借金になるのですから、皮肉なものです。これについては、後ほど詳しく。

自らを「成金趣味」と称していた、現役時代の金銭感覚

もうひとつ、これまた借金と間接的に関わってきますが、江川氏は著書などでも自らを「成金趣味」と称しています。

その原点となったのは、大学時代、日米大学野球の前に、かの長嶋茂雄氏の自宅に招かれた際、ミスター愛用のブランドものの靴下を真似したことがきっかけだったとか。

以来、現役時のストレス、とりわけ江川氏の場合は入団時の問題もあり、とにかくお金を使うことで、モヤモヤやプレッシャーを吹き飛ばすというやり方をしていたとのこと。

例えばMVPにも選出された1981年には、20勝を挙げた翌日、当時のBMWの最高級車であった745iをポンと購入。また、ゴルフのパターを純銀で特注(本当は金で作りたかったが比重の関係で不可能とされた)したり、ワインに凝って、最高級のロマネ・コンティを探して飲んだなどの逸話が語られています。

ただし、決して守銭奴であった訳ではなく、例えば、現役引退の年には、同じ年に引退した巨人の打撃投手氏の支援として、横浜市に喫茶店「きりんこ」を開店。これには「ご近所づきあい」で親しかった映画プロデューサーの黒澤久雄氏やプロゴルファーの羽川豊氏の協力もあったとのこと。しかし、僅か数年で立ち行かなくなり閉店してしまったそうですが・・・。

現役時代からの「財テク」と、大借金への前兆

前述しました通り、江川氏は現役時代にストレスやプレッシャーを解消する手段として、成金趣味と称して浪費(一時期は競馬にこったこともあったそうです)に走っていましたが、選手人生の後半、肩の故障に悩むようになると、今度は、株式や不動産投資などの「財テク」に励むようになります。

これは巨人軍のパーティなどで財界人との出会いを重ねていくうちに、知識と人脈を増やしていったことがきっかけだったとのこと。ただし、ご本人によれば、現役時代のそれは、あくまでもストレスやプレッシャーを解消する手段であったと強調しています。実際に、大借金を背負うことになるのは、現役引退後です。

なお、余談ながら、現役引退の年、江川氏は長者番付のスポーツ部門一位となっていますが、これもある種の皮肉な出来事と言えるでしょう。

電撃的な現役引退発表と、実業家への転身計画

さて、ここからはいよいよ、江川氏が背負った巨額の借金について見ていきましょう。

1987年、当時の広島カープ4番・小早川毅彦選手に打たれたホームランによって、自らの限界を悟り、僅か9年でのプロ野球選手に幕を下ろした江川氏は、プロ野球解説者をはじめ、スポーツ番組、さらにはタレントとしてもバラエティ番組などでも活躍。

現役時代に背負っていたダーティイメージはすっかり払拭され、プロ野球時代とは別の意味で人気を博していくことになります。人生とは、分からないものですね。

しかし、そうした目に見える部分では順調そうに見えた江川氏ですが、目に見えない部分では、財テクの知識と経験を活かした実業家への転身も図っていたのです。タイミング的にも世の中はバブル絶頂期。そして株式や不動産投資と言えば・・・あとは容易に想像がつくことでしょう。

借金総額は50億円!? そのきっかけは、ある人物との出会い

現在40代以上の年齢の方であれば、バブル当時のニュースなどで、日本企業が海外の有名不動産や施設、会社組織などをこぞって買収していたことが盛んに報じられていたのをご記憶でしょう。

そんな中のひとつ、映画でもお馴染みの老舗高級宝石店「ティファニー」のニューヨーク本社ビルを買い取ったことで話題となっていたのが第一不動産グループ(2007年に倒産)の佐藤行雄社長(故人)です。

江川氏は現役時代からゴルフや財界人の会合などで佐藤社長と親交を深めており、現役引退後程なくして、第一不動産グループの社外役員として事業に参加していくことになります。

同社がスポンサーとなったゴルフトーナメントの実行委員長を皮切りに、東京ディズニーリゾート内に1990年開業した「東京ベイホテル東急」(当時は第一不動産グループの傘下)の運営に携わるなど、精力的に活動。実際、同グループは1991年に年商938億円を記録したとのこと。

しかしその直後、ご存知の通り、バブルは崩壊。江川氏個人と江川企画を合わせ、総額50億円ともされる借金を背負うことになりました。

ちなみに、第一不動産は前述の東京ディズニーリゾート内のホテルなど所有不動産の売却などで債務返済を行なっており、2003年には「株式会社エフ・アール・イー」に社名変更するなどしていましたが、2007年に倒産。社長の佐藤氏も2009年、心不全により他界しています。運命というものはつくづく予測できないものだと思い知らされますね。

50億円もの借金、その返済方法は・・・?

この50億円という数字は、あくまでネット上やゴシップ誌などが伝えているもので、江川氏ご本人は、自ら語ることはしていません。金額の信ぴょう性はさておき、これだけの借金を背負った場合、一般人であれば自己破産や民事再生という手段しかないと思いがちですが、そこは解説者やタレント活動も行う江川氏。自らの稼ぎで返済する道を選びます。

これまた信ぴょう性はともかくとして、次のようなエピソードが語られています。ある日、仲良くしているタレントさん宅を訪問した江川氏。ちょうど野球中継が流れていたところ、江川氏から「解説してあげましょう」との申し出が。「えっ、いいの?」と驚くタレントさんに、「普段なら300万円取りますけど、今日はタダで」と、冗談とも本当ともつかない口調で答えたそうです。

これが本当なら、確かに膨大な借金も返済できなくはありませんね。 >

「江川巨人監督待望論」と、借金とのかかわり

そしてもうひとつ、江川氏の借金に関連して語られるのが、これまで幾度となく持ち上がってきた「江川監督待望論」の度に、江川氏は否定するという繰り返しです。特に自身が出演するスポーツ番組などでは、もはやお約束のやり取りとなっているほど。

その理由はもちろん、プロ野球監督としての年棒よりも、テレビ出演者としての稼ぎの方が多いためと推測できます。元プロ野球選手たるもの、監督、とりわけ巨人監督就任は、究極の夢であるはずです。しかし、江川氏の場合、借金の返済という十字架を背負っており、監督を引き受けたくてもできなかったというのが真相なのでしょう。しかし近年、もしかしたら、江川氏は借金を完済したのではないかと思えるフシがいくつか出てきました。

「清武の乱」で取りだたされた、江川氏招聘

2011年オフ、当時の巨人球団代表である清武英利氏が、自らがあずかり知らぬ所で「ナベツネ」こと渡邉恒雄球団会長による江川氏のコーチ招聘が画策されていたことを暴露した、いわゆる「清武の乱」が起こりました。

元来ナベツネ氏は「借金を抱えている人間に、チームを任せることなどできない」と発言していた程。それが翻ったということは、江川氏の借金は返済し終わっているのではないかと推測する根拠になります。

加えて、記憶に新しい2015年オフには、辞任した原辰徳前監督の後任候補にも挙げられました(実際には高橋由伸新監督が誕生)。

いずれにせよ憶測ではありますが、もし江川氏の借金が完済されているのだとしたら、もう一度ユニホーム姿を見てみたいと思わずにはいられません。

江川氏の現場復帰の可能性は、果たして?

2010年、かつてのライバルであった元阪神タイガースの掛布雅之氏との対談において、江川氏は次のように述べています。

「監督になるかどうかはタイミング次第
「自分は考えをゆずれないタイプなのでコーチは無理
「年齢的にもう最後かな、と思ったときには、今まで経験したことがない巨人以外のユニホームを着る事もあるかも知れない

いずれもかつての借金返済と思われる最中には見られなかった発言であり、このことからも、江川氏はようやく、野球界への現場復帰を視野に入れることができるようになったのではないかと思われます。

繰り返していますとおり、江川氏は借金について公には語っていませんが、完済もしくはその目処がついているのであれば、球界復帰を願ってやまないところです。江川卓という人物は、それだけのことをしてきた、野球界のレジェンドなのですから。

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