さだまさし 35億円の借金返済を経て、3500万円で島を一大リフォーム

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2015年8月11日に開催された『東日本大震災復興支援チャリティーコンサート2015 長崎から東北へin日本武道館』。さだまさし氏が主催したこのイベントに登場した男性コーラスグループ・ゴスペラーズ。実はメンバーの一人、北山陽一氏と、さだ氏の長女でピアニストの佐田詠夢さんとの結婚が発表されたばかりというタイミングでした。

さだ氏はゴスペラーズの面々に対し「グループメンバーの不祥事(?)の責任をどう取るつもりだ?」と話をふると、リーダーの村上てつや氏は「僕らにできたことは、さださんのあの歌(『親父のいちばん長い日』――娘をくださいという男に君を殴らせろという歌詞がある)の歌詞を読み返したということです」と切り返し、場内は笑いにつつまれました。

ちなみにさだ氏には、娘の詠夢さんのほか、長男でバイオリニストの大陸氏がいます。お子さんが二人とも音楽に携わっているというのは、DNAと環境の双方があったのでしょう。とりわけ、若かりし頃バイオリニストへの道を目指したものの、挫折したさだ氏にとっては、息子さんが自分の果たせなかった道を継いでくれてというのは、万感の想いがあることでしょう。

となると、気になるのはさだ氏のもうひとりのご家族、奥様はどんな人なのかという点ですね。実はさだ氏の奥様は全くの一般人のため、ほとんどマスコミには登場させていません。トーク番組やラジオ番組などで、元客室乗務員で、典型的なO型女性といったことは明かされています。

そんなお二人が結婚したのは1983年。挙式の会場としたのは、さだ氏が所有する無人島、長崎・大浦湾の南西に位置する詩島でした。そう聞くと、さだ氏に多少なりとも詳しい方、あるいはさだ氏の借金に関する記事をご覧になった方は、ピンと来たのではないでしょうか。

1983年と言えば、さだ氏がドキュメンタリー映画製作によって莫大な借金を抱えてまもなくの頃。そんなタイミングにも関わらず、結婚を決断した奥様は、大したものですね。ちなみに元巨人・桑田真澄氏の奥様も、同じく桑田氏が大借金を抱えた直後に結婚を決断しています。

さて、そんなさだ氏と奥様の晴れの舞台ともなった詩島ですが、ご存知の通り、さだ氏の大借金のせいもあり、ほとんど手入れができないまま30年が経過してしまっていました。晴れて借金返済を終えていたさだ氏は、この詩島の大改修リフォームを決断、その白羽の矢をたてたのは、なんと、テレビ朝日系バラエティ番組『劇的ビフォーアフター』だったのです。レギュラー番組としては2016年に終了していましたが、定期的にスペシャル番組として放送されることになっており、その第一弾が、ほかならぬ、さだ氏の島リフォームだったのです。

そこで本記事では、あらためて、さだまさし氏がこの島を入手した経緯や、大借金を背負ってしまった理由、返済までの道のりなどを振り返りながら、島のリフォームという大事業をどのように行なっていったのかを見ていきたいと思います。さだ氏が背負ってしまった借金は35億円。そしてこの一大プロジェクトに用意した予算は3,500万円。それだけのお金を動かせる男としても、改めてさだ氏には大いに注目してしまいますね。

今一度おさらい、さだ氏がこの島を入手した経緯とは・・・

さだまさし氏が長崎の大浦湾南西に浮かぶ、周囲約500mのこの島を入手したのは、今からおよそ38年ほど前のこと。もちろん35億円という大借金を背負う前であり、また奥様との結婚もしていない時期のことです。

さだ氏の歌手人生と照らし合わせると、ちょうど相棒の吉田正美氏と結成していたフォークデュオ・グレープを、当時の所属事務所との衝突により解散した後。ソロ歌手さだまさしとして再スタートを切り、自身初のオリコン1位を記録した『雨やどり』(グレープ時代の『精霊流し』は2位が最高位)をヒットさせたタイミングになります。また、当時のスーパーアイドル山口百恵さんに名曲『秋桜』を提供した時期でもありました。言わば音楽界の若きヒットメーカーとして注目を集めていた時期です。

そんなある日、さだ氏は以前より親交のあった故郷・長崎のテレビ局のプロデューサー氏から連絡を受けます。その内容が、何を隠そう、後に詩島と命名されるこの無人島を購入しないかという誘いだったのです。

一般人にとってはまさに夢物語ですが、前述の通り、ヒット曲を手がけ、印税で懐も潤っていた時期。さだ氏は「買う、買う」と即断したそうです。後に明かしたところによれば、さだ氏は幼少期から愛読していた『ロビンソン・クルーソー』『十五少年漂流記』や『トム・ソーヤ』、『ハックルベリー・フィン』といった冒険活劇に大きな憧れを抱いていたとのこと。現実世界で、そうした夢舞台を実現させるために、購入を決断したとのこと。

ちなみにこの島は元々は「寺島」という名称だったそうですが、さだ氏の意向や働きかけもあり、「詩島」に改名されたとのこと。

購入後、さだ氏は島に福岡の太宰府天満宮から分祀された神社を設け、さらには桟橋や母屋根のログハウス、管理棟、来客者向けのバンガロー、浴室棟といった建物、さらには海底ケーブルによってガス電気水道といったインフラまで完備。島の購入費は約2000万円だったのに対し、これらの建設費用は1億円近くかかったのではないかとのこと。まさに、男の夢を実現したのですね。

もちろん、音楽仲間や関係者、友人たちを招いたり、ファンを対象にした宿泊ツアーなども実施し、楽しみを謳歌していたとのこと。しかしご存知の通り、さだ氏はこの後、自ら監督・主演した映画『長江』により、35億円もの借金をしてしまうことに。以前のようには、島に手間をかけたり施設の手入れができなくなってしまい、そのまま30年違い年月が経過してしまったのだそうです。

ただし、莫大な借金を背負いながらも、この島を売却、あるいは自己破産せずに借金を返済したことから、島自体を手放さずに済んだことは本当によかったと、完済後のインタビューで語っています。そして、晴れて借金を完済したことが、精神面でも経済面でもゆとりを生み、今回の一大リフォームへとつながっていくのですね。

でもその前に、この島の運命をも大きく変えてしまった、さだ氏の大借金の原因となった映画『長江』についてもおさらいしておきましょう。

大借金の原因となった映画『長江』とは、何だったのか・・・

まずは、さだ氏の名誉のために申し上げておきましょう。映画で大借金を負うことになったと聞くと、映画そのものが失敗したと思ってしまいがちですが、それは違います。

映画『長江』は、当時のドキュメンタリー作品としては異例の120館上映を実現し、また当時の中国国民の暮らしぶりや中国大陸の景観などを映像として記録した文化的価値も高いと評価されています。

では、なぜ膨大な借金となってしまったのかと言えば、簡単に言えば製作費をかけすぎたということ。この映画の撮影前、さだ氏は自前の資金として2億円を用意していましたが、ご本人も周りの人間も音楽畑の出身で、映画の予算管理というもののノウハウもなく、自前の資金を差しい引いても28億円の赤字となってしまったのだそうです。ちなみに35億円というのは、この28億円に金利分を足した合計金額とのことです。

当時さだ氏は20代後半。その若さでこれだけの借金というのは、一般人だったら絶望のどん底に落ちてしまいますね。しかし、そこはトップシンガー。「貸した銀行もその道のプロだから、さだなら返せると判断したのでしょう。そう思ったら、返すしかないと思いました」と、借金返済後に出演したバラエティ番組で語っています。

そもそも、なぜ映画『長江』を制作したのか・・・

と、ここでもうひとつ疑問が湧いてきますね。歌手であるさだ氏が、なぜ畑違いの映画を自ら撮ることになったのでしょうか?それにはさだ氏の代名詞とも言える楽曲『関白宣言』の大ヒットが関わっています。

ご存知の方も多いでしょうが、この曲の内容は結婚を控えた男性が、相手の女性に向けて、亭主関白となるから覚悟しておけと言い聞かせながらも、実は自分の弱さや相手への愛情をコミカルに歌っているというものです。

しかし、芸能界というところは、今も昔も、大ヒットが生まれるとバッシングもついてくるという世界。女性団体や週刊誌などから「女性差別」、「男尊女卑」との槍玉にあげられてしまったそうです。

そんな折り、さだ氏は、実父である佐田雅人氏や実弟で事務所社長の佐田繁理氏と、日本を離れて何かやりたいと語り合うようになり、冗談半分で言った「長江源流の最初の一滴を見に行こう」というのがきっかけとなったそうです。ちなみに父・雅人氏は、第二次大戦中、まさに中国戦線に従軍した経験があり、そんな雅人氏の想い入れにも応えようとしたという側面もあったのだそうです。ちなみに、この佐田雅人氏という人物は、息子のさだ氏曰く、破天荒でむちゃくちゃな人間だったとのこと。詳しくは、以前の記事でご紹介していますので、併せてご覧ください。

借金返済までの、30年の道のりと、その方法とは・・・

これまたさだ氏に詳しい方なら先刻ご承知のことだと思いますが、日本人アーティストの中で、ソロコンサート回数4,000回以上を実施し、その記録を現在も更新し続けているのは、さだまさし氏ただ一人です。その理由は、語説明するまでもなく、35億円という借金の返済のため、本業である音楽活動に力を入れた結果とのことです。

ちなみに借金直後から開始されたのが「神出鬼没コンサート」というもの。東名阪や札幌、福岡といった主要な都市に限らず、全国津々浦々、地方都市までコンサートを行なっていくというものでした。参考までに、借金直後の1982年には、年間162回、それ以降も毎年100回以上のコンサートをこなしていったそうです。

前述しました通り、奥様と詩島で結婚式を挙げたのはそんな最中だったのですね。改めて、そんな大変な時期に結婚を決断したというのは、敬服してしまいますね。一般人では、とても真似できそうにありませんね。

逸話をもうひとつ。さだ氏のコンサートは、楽曲披露はもちろんですが、合間のトークや寸劇などが面白いと評判です。もちろん、リピーターを増やすために楽しんでもらうという戦略でもあるのですが、もうひとつ大きな理由があったそうです。それはズバリ、コンサートの回数をこなすため、喉への負担を軽減するために、トークの比重を増やしたという、苦肉の策だったそうなのです。しかし、逆にそれが面白いと評判になったのですから、人生何が幸いするか分からないものですね。

そして、2010年、さだ氏はおよそ30年をかけて、金利を含め35億円という金額を完済。そして奇しくも、この借金完済を見届けて、父・雅人氏は天国へ旅立ったのだそうです。実は、雅人氏は生前、さだ氏のコンサート会場で、入場口に立ち、来場者一人ひとりに挨拶していたことでも知られています。なにか、運命めいたものを感じさせるエピソードですね。

さて、借金返済を果たしたさだ氏。それ以降も精力的に音楽活動を続け、前述のお子さん二人との共演や、娘婿であるゴスペラーズとの共演、尊敬する加山雄三氏との共演、さらには人気アイドルグループももいろクロバーZとの共演などを果たしています。さらには小説家としての執筆活動やテレビ・ラジオ出演なども。そうした活動の結果、3,500万円という予算を確保し、ビッグプロジェクトに臨む決断をするのでした。

予言(?)していた、『劇的ビフォーアフター』への依頼・・・

自ら所有する島のリフォームを、『劇的ビフォーアフター』へ依頼。実は、さだ氏は、このことを、自ら予言していたのです。

具体的には2015年3月15日に放送された日本テレビ系の情報番組『誰だって波瀾爆笑』に出演した時のこと。幼少期から歌手デビュー、そして映画での借金といったこれまでの半生を振り返る内容の中で、若き日に購入した詩島のことも取り上げられました。

現地をテレビ番組レポーターが紹介するVTRが流され、かつて建設した島の建物などの老朽化が進んでいると紹介され、このままではもったいないと話を振られると、さだ氏は「ビフォーアフターに頼もうかな」と発言。ライバル局の番組にも関わらず、この件はカットされずに放送されていました。

この放送時点では、おそらくこれも、さだ氏ならではの面白トークの一環として捉えられていたのでしょう。しかし、このオンエアからおよそ2年、この発言は現実のものとなりました。初めから本気だったのか、あるいは冗談が本当になってしまったのか、ともあれ、計画は実行に移されたのでした。

『劇的ビフォーアフター』への依頼、匠を務めたのは島物件の達人・松永務氏

元々本番組のファンであったさだ氏が、番組史上初となる島のリフォームを依頼。その担当者として起用されたのは、これまで同番組で、伊豆七島の八丈島や沖縄の久米島、同じく波照間島など島物件の再生を手がけてきた一級建築士でアトリエMアーキテクツ代表の松永務氏でした。

松永氏は自然然素材を活かした、木の温もりに包まれた心地よい家づくりをモットーとしていることでも知られる「匠」です。番組冒頭、同世代ということもありさだ氏と松永氏はすぐに意気投合。さっそく詩島の現状チェックへと向かいました。

深刻なダメージを受け、老朽化したいた建物たち・・・

島にある物件を見て回ったところ、島の建物はどれも、30年近く放置されてしまったダメージと老朽化が進行していた状態でした。

島の母屋(住居棟)となる丸太のログハウスは、ウッドデッキ部分が基礎から崩れてしまっており、手すりの丸太も崩れ落ちていた状態

より深刻だったのは、崖沿いに設けられていた来客向けのバンガローで、30年の風雨にさらされ、基礎の鉄筋コンクリートと鉄骨が耐久性をなさないほど劣化し崩壊寸前となっていました。

また、独立した風呂設備として建てられていた浴室棟は、木材が白アリによって食べ尽くされ、躯体が再利用不可となっていた状態でした。

さらには、かつて島の管理人ご夫妻が常駐していたという管理棟も、管理人さんの高齢による引退に伴い、空き家状態となり、管理や手入れがされないまま放置されていた状態でした。

番組MCの所ジョージ氏をはじめ、パネラー陣は、その状態を見て「これは3500万円の予算では無理だろう」と予想。多くの視聴者もそう思ったことでしょう。しかし、そこは、これまでそうした建物を幾度となく復活させてきた同番組。ましてや劇的ビフォーアフター特番なのですから、想像を越えたドラマが待っているのでした。

一大リフォーム開始前、島を訪れたのは・・・

以前の記事でもご紹介しました通り、さだ氏は中学1年で故郷の長崎を離れ、単身上京し、東京都内の中学・高校に通いました。そんな学生時代の友人たちとは、現在でも定期的に集まっているとのこと。さだ氏の人柄がよく現れていますね。

そんな仲間たちが、さだ氏の一大プロジェクトを聞きつけ、建物の備品の片付けや撤去の手伝いに訪れました。64歳という年齢にして、未だ学生時代のお仲間がさだ氏のために駆けつけるというのは、バラエティー番組的な演出という面もあるのでしょうが、それを差し引いても、羨ましい関係ですね。そんなこんなを経て、いよいよ松永氏によるリフォームが開始されます。

匠が魅せた、秀逸なリフォーム術とは・・・

今回のスペシャル特番で匠を務めた松永氏は、まず、基礎の鉄筋コンクリートと鉄骨部分が崩壊寸前となっていた来客用バンガローを解体。続いて、白アリ被害で躯体が再使用できない状態となっていた浴室棟を取り壊しました。

実はこの2棟は、ともにそのままでは使用できない状態でしたが、来客用バンガローは建物自体は再使用できる状態、逆に浴室棟は基礎部分が再使用できる状態でした。

そこで、松永氏は、浴室棟の基礎部分を活かし、バンガローを解体した資材を用いて新たな浴室棟として生まれ変わらせたのです。これはなかなかに秀逸な業でした。

まだバンガローを撤去した代わりの来客用宿泊棟には、管理人さんの引退で空き家状態となっていた管理棟を、来客用としてリフォーム。3組が同時に泊まれる施設に生まれ変わらせてみせました。

限られた予算で上手にやりくりをするには、現在あるものを有効利用するというのが定番ですが、松永氏はそのお手本を見事に示して見せました。まさに松永先生と呼ばれる理由が、ここにありますね。

母屋のログハウスにも、確かな業と遊び心を発揮

一部の丸太が老朽化し、またウッドデッキが崩れ崩壊していた母屋のログハウスにはまず、新たな丸太材を用いて、不具合部分を修繕。風雨のダメージを受けにくいように屋根と庇も改良しました。と、ここまでなら、それこそ、その辺のリフォーム業者でもできることです。匠・松永は、そこで終わりましません。

まず、さだ氏のご自慢だった暖炉は、小型の最新式薪ストーブに交換。その上で、空いたスペースに螺旋階段を設置し、屋上部分には、朽ちて崩落してしまったウッドデッキに代わる、ルーフテラスを設置してみせたのです。

そしてもうひとつ。来客用バンガローを撤去した箇所には、板張りのベンチと日よけ、ハンモックなどを設置したリラックススペースをとして改造してしまいました。

よく言われることとして、「一流の人間とは、依頼者の期待以上のものを与えられることだ」というのがありますが、松永氏は、まさに、それをやってのけてみせました。

「さだ工務店」も、度々、詩島に出張し作業に協力

そうした一連の作業の中、さだ氏もコンサートツアーやテレビ出演などの合間を縫って、現場へ様子を見に行っていました。その際、これまたバラエティー的な演出ですが、さだ氏は自ら、さだ工務店と書かれた作業着に身を包み、外壁のペンキ塗りや木材のねじ止めといた作業をお手伝い

実は、これらも、さだ氏に詳しい方なら、思わずニヤリとさせられることなのです。まず、さだ工務店とは、実は本業の音楽でのバックバンドの名前。そした、さだ氏は、大学時代、アルバイトでペンキ塗りの経験もあり、そうしたことを踏まえて、やっているのです。また、若い職人さんと、まるでお笑いコンビのような掛け合いも展開。まさに、人を楽しませることにかけては、本当に出し惜しみをしない方ですね。

38年ぶりに復活した遊園地、ミニライブもやりたいとのこと

晴れてリフォームが完了した詩島。すべてを見て回ったさだ氏は、件の屋上ルーフデッキにて、感激のあまり、松永氏をハグしてしまうほどでした。

直ちに、学生時代のお仲間たちを呼び寄せ、意気揚々とリフォームが完了した島を自ら案内。リフォーム前の状態を知っている方々だけに、見事に生まれ変わった島への感嘆や賛示が寄せられていました。

ちなみに、さだ氏へのサプライズとして、この学生時代のお仲間のうち、デザイナーと彫刻家の友人お二人が、この詩島の木製看板を作成。番組スタッフと示し合わせ、桟橋付近にこっそり飾っておくという粋な計らいもおこなっていました。類は友を呼ぶとは、よく言ったものですね。

あらためて、さだ氏は、この島の購入から30年間は、借金で事実上何もできなかったことをずっと悔やんでいたこと、借金の返済でようやく島の復活を計画できたこと、そして素晴しい結果になったことを、感慨深げに語っていました。64歳にして新たな遊園地を手にできたと、嬉しそうに語る姿からは、30年に及んだ返済生活の苦労があったからこその格段の喜びといったものが、見受けられました。

それこそ、この詩島にて、ミニライブを開催したいという意欲も語られたほど。もっとも「やったら、料金は高いよ」と、らしいジョークもつけ加えていました。晴れて借金を返し終えた男の、自分へのご褒美といったところでしょうか。

さだまさしの借金返済(1) ~ 映画「長江」で負債28億円
さだまさしの借金返済(2) ~ 35億円完済までの30年の道のり

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