鈴木亜久里の借金地獄 ~F1の夢潰え、16億円の返済命令判決!

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モータースポーツにさほど詳しくないという方でも、鈴木亜久里という名前はご存じでしょう。

F1で日本人初となる3位表彰台を獲得。フランス人の祖父の血をひく丹精なルックスも目を惹く存在でした。

現役引退後は国内レースなどで後進の育成に励み、その集大成として2006年、自らのF1チームを立ち上げる夢を実現。しかし、その代償はとてつもなく大きなものでした。

今回は鈴木亜久里氏とスーパーアグリF1チームにまつわるお金について、詳しくご紹介していきます。

2006年当時のF1お金事情と、鈴木亜久里氏の置かれた立場

専門誌はもとより、一般紙の記事や地上波番組などでも紹介されている通り、モータースポーツはお金がかかるという常識はご存知ですね。

では、その最高峰F1参戦に必要なのは幾らだと思いますか?

2006年シーズン、初参戦のスーパーアグリF1チームが用意を迫られたのは約130億円でした。

この内、チーム運営に必要だったのは約70億円。それだけでもスゴイですが、残りの約60億円は、当時の新規参戦チームに課せられていた供託金というものでした。

ミニ情報:新規参戦チームに課されていた供託金とは?

1990年代当時、F1界では新興チームが参戦を表明しては取りやめるという事態が頻発。最高峰レースの権威を軽んじる風潮に、主催者側は供託金制度を設けました。

新規参戦するチームには、4,800万ドル(当時約58億円)の供託金を支払わなければ、参戦が認められないという厳しいもの。ただし実際に参戦すれば分割されて返却されました。

スーパーアグリF1チームは、マシンやドライバー、チーム員、工場施設などの準備と同時進行で、供託金の手配に東奔西走していたのです。

危うい綱渡りの末に、タイムリミットギリギリで供託金を確保

当初スポンサーとなるはずだったのは、モナコ在住の日本人投資家が社長を務めるディレクシブという企業でした。ところが突然、一方的にこの話しは打ち切られてしまいます。

そこで諦めてしまえば楽だったのかもしれません。しかし、亜久里氏は茨の道を行くと決断。大手広告会社・電通の協力を仰ぎ、スポンサー探しに奔走。何十社と訪問したそうです。その中には、かのソフトバンクも含まれていたそうです。

ソフトバンクとは契約寸前までいったものの、考え方の相違(ソフトバンクはプロ野球に続き、自らがチームオーナーとなるつもりだった)により白紙撤回。

いよいよ万策尽きたと思われた時、亜久里氏の旧来の友人でアパレル業界にて成功していたサマンサタバサジャパンの寺田和正氏が救いの手を差し伸べます。

寺田氏の仲介により、あおぞら銀行による融資が実現。締め切りギリギリのタイミングで供託金の支払いが実現でき、スーパーアグリF1チームは2006年シーズンの参戦を認められました。

実はこの時、亜久里氏は資産のすべてを担保としており、自己破産した場合に備え、ご自分の家族に苦労をかけないよう、奥様に離婚しておくことを提案したそうです。それに対して奥様は「大丈夫、命まで取られる訳じゃないから」と返答。この夫にして、この妻ありですね。

常に戦わなければならなかった、資金不足という強敵

晴れて2006年シーズンを迎えたスーパーアグリF1チーム。しかし、その成績は散々なもの。優勝どころか入賞も見えない有様でした。

ホンダからワークスエンジンこそ供給さていたものの、車体は2002年製中古の改良品。マシンをゼロから作り上げる予算も時間もなかったからです。

そして初シーズンの運営資金は、実は、電通によって賄われていました。スポンサーが獲得できなかった場合、チーム運営費は電通が融通する契約となっていたのです。

かの電通でも集められたのは小口スポンサーのみで、70億円とも言われる運営費の大半は電通が負担。電通にとっても大きな痛手となり、2006年限りで手を引いてしまいました。このことが、後のチーム消滅にも、大きく関わってきます。

2007年、予想外の好成績と、ホンダF1チーム内での不協和音

2007年、2年目を迎えた同チームは、ホンダからの技術協力もより大きくなり、エンジンに加え、車体に関しても大きな改善を果たすことになります。特にエースドライバー佐藤琢磨による2度の入賞は上出来すぎる結果でした。

しかし好事魔多し。結果的に、ホンダF1チームより好成績という「ねじれ現象」を起し、ホンダ内に軋轢を生み、後のチーム消滅にも寄与する皮肉な運命となるのです。

そしてもうひとつ、2007年、スーパーアグリFチームは好成績とは裏腹に、大きな病魔に蝕まれていたのです。

ばんせい証券とSSユナイテッド、天使の顔をした悪魔たち

2007年の開幕前、前述の通り2006年限りで電通が手を引き、小口スポンサーも撤退。チームは新たなスポンサー探しを強いられていました。初年度のような供託金は不要でしたが、チームの運営費は常に不足していたからです。

そこに持ち込まれたのが、ばんせい証券とSSユナイテッドなるペーパーカンパニーによる「詐欺話」でした。

香港を本拠とする石油関連企業という触れ込みのSSユナイテッド(実は真っ赤な嘘)が2007年の大口スポンサーとなる契約を、ばんせい証券の仲介で結んだものの、スポンサー料の支払いは履行されず、連絡自体も途絶えてしまったというもの。

本来支払われるはずだった資金のうち、16億2,000万円は当時のばんせい証券の担当者により「立て替え」で支払われましたが、この担当者も突如として行方をくらましてしまいました。

この事件は、ただでさえ資金難に喘いでいたスーパーアグリに強烈なダメージをもたらしました。

2008年の開幕こそ迎えられたものの、1年を戦うだけの資金はなく、またホンダF1チーム内の反アグリ派の政治的工作などもあり、2008年5月をもって、スーパーアグリF1チームは消滅したのです。

ばんせい証券による、16億2,000万円の返済訴訟

チーム解散後、東京とイギリスを行き来し、工場売却やスタッフの再就職支援などに追われていた亜久里氏に、寝耳に水の情報がもたらされます。

ばんせい証券が、2007年に「立て替えた」16億2,000万円の返済を求める訴訟を起こしたのです。

そもそもは、ばんせい証券側からもちこまれたことであり、SSユナイテッドがペーパーカンパニーであった事実を考えれば、亜久里氏は被害者のはずです。

しかし、東京地裁は2010年6月、亜久里氏に支払い判決を下します。法の網の目や抜け穴をフル活用したことは、容易に推察できます。

ちなみに、ばんせい証券はこの前後にも度々不祥事を起し、金融庁などから再三行政指導などを受けています。亜久里氏の無念さ悔しさは、想像してあまりあります。

鈴木亜久里氏のその後、現在、そして未来

この判決後、匿名掲示板や個人ブログなどでは「亜久里、終わったなwww」といった嘲笑コメントやトラックバックが多数見られた反面、同情の声も多く寄せられました。

実際には亜久里氏は終わることはありませんでした。借金返済についてはコメントしていませんが、元々運営していた国内チームARTAを再び率いて精力的に活動。

さらに2014年に開幕した、電気自動車によるFIA フォーミュラE選手権に「チーム・アグリ」を設立して参戦を続けています。

以上の通り、莫大な借金を背負いながらも自己破産することなく、精力的にレース活動を続けられている亜久里氏。このことは彼を食い物にしようとした敵も多かった反面、彼の人となりや情熱を理解し、支援してくれる味方も多数いるということ。

今後もレースを通じて、クルマ好き達に夢を見させ、若きドライバー達に活躍の場を与え続けてくれることでしょう。

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